翻訳と辞書
Words near each other
・ 石井孝明 (ジャーナリスト)
・ 石井孝生
・ 石井学
・ 石井孫兵衛
・ 石井學
・ 石井安憲
・ 石井安里
・ 石井完治
・ 石井宏
・ 石井宏 (競泳選手)
石井宏 (野球)
・ 石井宏 (音楽評論家)
・ 石井宏和
・ 石井宏子
・ 石井宏樹
・ 石井宗謙
・ 石井定七
・ 石井家
・ 石井宿
・ 石井富之助


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

石井宏 (野球) : ウィキペディア日本語版
石井宏 (野球)[いしい ひろし]

石井 宏(いしい ひろし、1963年10月17日 - )は北海道帯広市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、内野手。
==来歴・人物==
北海道日本大学高等学校(現:北海道栄高等学校)では、1981年第53回選抜高等学校野球大会にチームの主戦投手として出場した。同年のドラフト会議ロッテオリオンズから4位指名を受けるが拒否し、翌年、日本大学に進学。東都リーグでは通算55試合に登板し19勝27敗、防御率2.49、223奪三振という成績を残す。2年生春は7勝2敗、71奪三振を記録するなど活躍し、最優秀投手とベストナインに選ばれ日米大学野球選手権大会にも出場した。しかし、以後は負けが目立つようになった。1985年のドラフト会議で、伊東昭光の外れ1位で阪急ブレーブスに指名され、プロ球界入り。1年目の6月、2度目の先発(対 日本ハム)で7回途中まで投げ初勝利を挙げる。2年目の1987年にはウェスタン・リーグで最多勝を獲得したが、一軍では1勝に終わり、通算2勝3敗と活躍できず。故障の影響もあって1988年より内野手に転向。しかし、同年オフに自由契約選手となった。翌年、阪神タイガース投手として入団テストに合格し移籍。しかし、二軍でも8試合のみの登板に終わり、1年で再度自由契約となりこの年限りで引退した。
日本大学在学中には、高校2級・中学1級保健体育教員免許を取得していて、高校野球指導者を目指すも、プロ・アマ規定(その頃、10年間の教職を得て許可される/現在は2年間に短縮)の壁があり実現されていなかったが、2011年11月より京都両洋高等学校の教諭として採用が決まり、2012年4月からは、同校女子硬式野球部監督としても就任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石井宏 (野球)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.